高機動型ブログ

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零戦という航空機

零戦とは皇紀2600年の末尾にあたる零を冠する、正式名零式艦上戦闘機です。連合国軍からはゼロファイターと呼ばれ、日本国内でも親しみを込めてゼロ戦と呼ばれていました。

設計主任は、九六式艦上戦闘機を手掛けた堀越二郎で、イギリスのスピットファイア、アメリカのP-51マスタングなどと並ぶ世界最高のレシプロ機なんて呼ばれています。

零戦の初陣は実は真珠湾攻撃ではなく、中国戦線でした。500km/hを越える時速と運動性、20mm機関砲による高火力と長大な航続距離を持って、中国軍のロシア製戦闘機を相手に暴れまわりました。当時アメリカの義勇軍航空隊が中国軍を手助けしていましたが、零戦の強さに本国に対して、日本の航空機技術は予想以上に高く、零戦は特に最高の戦闘機なので注意しろと報告しました。しかしアメリカ本国は、有色人種にそんなもの作れるわけがないと相手にしませんでした。

ここで零戦の設計思想をみていきましょう。当時の日本海軍は、戦場において航空機に必要な性能を民間の軍需工業会社へ要求し、会社が性能を満たす航空機を開発し、軍によるテスト飛行を経て合格となってはじめて生産開始としていました。

零戦を開発するにあたって、注目すべき要求をまとめますと、まず最初に速度です。当時連合国側でも時速500km/hを越える航空機は数える程度、さらに海上での運用となると最速の部類となります。また格闘性能(航空機の機動力)も世界の中でも屈指の九六式艦上戦闘機に劣らぬものを要求されました。航続距離も当時としては破格でしたが、距離ではなく時間で示されていたため、正確な数値は不明ですが2000km級であることは間違いありません。

堀越二郎は頭を抱えました。なぜなら航空機の速度、機動力、航続距離は独立して考えることができないのです。航続距離を達成するためには速度を落として余裕を持たせなければなりません。また機動力を得るためには翼の面積を大きくとる必要がありますが、それでも速度は落ちてしまいます。そこで堀越二郎は悪魔との契約ともいえる奇策を持ち出します。機体の徹底した軽量化を行いました。そもそも海軍からは防御について消火器を乗せてほしい、くらいしか要求していないのです。要するに海軍の求める戦闘機は、敵の弾を避ける、あるいは射撃される前に打ち落とし、被弾したあとのことより被弾しない性能があればその後は考える必要なしとしました。

この軽量化に関してはエンジンの性能も考えなければなりません。航空機におけるエンジンは、天秤のおもりのようなものです。速度、航続距離、機動力、火力、防御力・・・とエンジンの反対側の皿に置いていくと、天秤は要求性能側に傾き地面についてしまうでしょう。均等を保つために海軍は防御力を徹底的に排除したのです。残りの長所をいかすための苦肉の策でした。一方のアメリカは、日本のエンジンの倍の馬力でしたので、天秤にも余裕がありました。零戦に勝る速度と火力を持って、あとは防御に力を注ぐ余裕があったということです。

機体の軽量化は零戦に最高峰の速度と航続距離、機動力をもたらした反面、そのデメリットももたらしました。まず燃料タンクに防弾処置を施さず、さらに極限まで表面を削った結果、敵の弾丸が一発当たると火達磨になってしまいました。さらに最大速度や急降下中などの高速域で旋回しようとすると、翼に空気の抵抗がかかり、翼の強度が足らずに折れてしまいます。連合国軍はそこに目をつけある戦法を編み出しました。

零戦は、低速域の格闘戦では無類の強さを誇っていました。そのため零戦の上空から十分な速度を稼ぎながら急降下し、一撃を加え、そのあとは速度を保ちながら駆け抜けます。急降下速度に制限のあった零戦は、敵を追うことが難しく、さらに敵が急降下中に旋回をすると、零戦は翼が折れてしまうためについていけなくなってしまうのです。これが俗に言うサッチウィーブ、一撃離脱戦法です。

この一撃離脱のメリットは、零戦に対して守りの姿勢をとることがないことです。零戦の手の届かない場所から攻撃をし、そのまま手の届かないところへ飛び去るこの戦法は、零戦の無敵神話を一気に崩壊させます。またアメリカは、新型機にこの一撃離脱に必要な機体強度、速度、火力の強化を追い求めました。日本海軍は、中国の制空権を格闘戦によって手に入れた栄光を捨てきれず、機動力に関して終戦まで要求し続けました。

日本の戦法にも問題がありました。アメリカは、零戦との1vs1の格闘戦は絶対に避けるべきであり、必ず2機以上で無線を駆使して連携を取りながら戦闘を仕掛けるよう命令が下されていました。日本の場合は、アメリカ人は個人主義で臆病なので、こちらが格闘戦を仕掛ければたちまち旋回しながら逃げ惑い、零戦が追い付き撃ち落とせる、と戦争終盤まで信じていました。どちらが個人主義なのかわからないですね。

零戦は機体の軽量化によって最強の能力を手にいれ、軽量化によって致命的な弱点も持ち合わせてしまいました。

アメリカの航空機に性能で負け、数で負け、パイロットの性能で負けた零戦の末路は、爆弾を抱えて敵の船へ飛び込む特攻でした。しかし軽量化によって性能を発揮していた零戦は、重い爆弾を抱えてふらふら飛ぶのがやっとの状態で数多くの命を失いました。

このような末路を辿った零戦ですが、最高峰の戦闘機であることは間違いありません。ですが1000馬力級のエンジンを積んだ航空機の中では、という条件付きになります。当時低い工業力と貧弱なエンジンしかない中、創意工夫が産んだ奇跡の戦闘機、それが零式艦上戦闘機なのです。